38歳から始まりました

38歳で結婚、田舎へ移住3年目。現在41歳。田舎暮らしに、不妊治療。そして妊娠。急にやってきた変化に驚きつつな日々

終わってしまいまいした・前編

ブログを更新できぬまま3日経ってしまいました。

その間に私の稚拙なブログ読者の方が一気に増えていてびっくりしました。

ありがとうございます。

 

9月16日7週0日で止まっておりましたが、残念ながらそれ以降週数を進めることは叶いませんでした。

 

この3日間で起きたことをどうやって書くと良いかがアイデアが思い浮かばずでして、

思いつくままだらだらと書いていこうと思います。

読まれる方、ご了承くださいませ。

 

実は、16日のブログを書いている間から生理痛のような下腹部痛が止む間もなく続いていました。

それまでは痛たたとなっても1分くらいで収まっていたのですが、その日は全然収まらず。

これは絶対おかしいと自分でも感じました。

寝る前にトイレに行くと、完全に出血していました。

真っ赤な血を見た瞬間、来たなと感じました。

 

夫にも出血が始まったと伝えましたが、怖くて私が感じている悲壮感までは伝えられませんでした。

疲れていた夫はあっという間に就寝。

そこから長い長い夜が始まりました。

うとうとしかけてはお腹の痛みと猛烈な尿意で目が覚める。

トイレの度に増えていく出血量。

治まらない痛み。

こんな時に限って明日は祝日。

一応近隣の産婦人科を調べると近いところで車で1時間。

もちろん祝日診療はしていません。

県内で祝日診療している病院を探してみると、旅行か?と思えるほどの距離にしかありませんでした。

波のように一定の間隔でお腹をぎゅーっと締め付けてくるような痛み。

普段は痛いとすぐに痛み止めを使う方なので、余計につらい。

完全に子宮が押し出しにかかっていることがわかる痛み。

不安と痛みがぐちゃぐちゃに混ざり合った辛い辛い夜でした。

 

夜が明けて、隣で寝ていた夫に、今日は起きれそうにないこと、きっとダメだと思う、病院が開いていたら行きたいと伝えました。

その時点で夫は初めてそんな大変な状況になっていたことに気づいたようです。

決して責めるわけではなくて、体感できない男の人は仕方がないと思います。

 

朝食を用意してくれた夫、剥いてくれた林檎がとても甘いなぁと痛むお腹を抱えながらなぜか林檎の甘みが沁みました。

 

ダメもとで電話した最寄りの産婦人科はやはり受診は不可でした。

そりゃそうですよね。

初診の妊婦を休診に診てくれるわけはありません。

けれど、電話をとってくれた方がおそらく助産師さんだと思うのですが、とても良さそうな方で7週ぐらいの時の出血はよくあることだから、変に動いてどうこうするより安静にしていた方がいいよと言ってくださいました。

おそらく、どこに電話しても結果は同じだと思うので、今日は家で過ごすことにしました。

うとうとしては痛みで目が覚めを繰り返していました。

 

そして12時過ぎにトイレに行った時に、明らかに何か「出た」感覚がありました。

急いで割りばしを取りにいってトイレから救出。

 

血の塊とは明らかに異なる「何か」でした。

おそらく妊娠性の変化による「何か」が排出されたんだと思います。

 

あぁ、、、

出ちゃった、、、

 

あたまが真っ白でした。

 

トイレで涙が止まらなくなり、ふらふらしながら納屋で作業をしていた夫に伝えにいきました。

 

泣いてる私を落ち着くまでずっと抱きしめてくれていた夫の体温がありがたかったです。

その後、痛みは少し治まりました。

私の子宮はこれを出したかったんだなぁと感じました。

 

その後もマシにはなったものの、痛みは継続。

そして20時過ぎにトイレに行った時に、また何かが出た感覚がありました。

昼に出たものより大きなものでした。

しろっぽい透明の膜で包まれていたもの。

おそらくそれが胎嚢だったんだと思います。

想像していたより、大きくて私の体の中で少しずつ少しずつ大きくなっていたんだなと思うと何とも言えませんでした。

ラップ越しに触るとまだ暖かで、とても愛しかったです。

私の中でこんなに頑張ってくれていたんだねぇ。

 

夫にまた大きなものが出たよと伝えました。

 

ティッシュで包んだ赤ちゃんの一部達を二人で包んで一緒に少しだけ横になりました。

それ以降痛みはぐっと少なくなりました。

 

テレビをぼーっと見ながら就寝。