38歳から始まりました

38歳で結婚、田舎へ移住3年目。現在41歳。田舎暮らしに、不妊治療。そして妊娠。急にやってきた変化に驚きつつな日々

ついに産まれましたーその①

お久しぶりです。

長梅雨も明け、本格的な夏到来ですね。

しばらくブログを書けておりませんでしたが、タイトル通り、無事出産を終えることができました!!

 

出産後は怒涛の日々が流れており、あっという間に一日が過ぎ去っていきます。

 

授乳の合間を縫って、出産を振り返ってみました。

ブログでも何度も書いていた通り、妊娠中はお腹の張りが強く、里帰りも29週からと早々に済ませお産の時を待っていたのですが、待てど暮らせど、兆候が来ず。。。

 

今か今かと待ちながらとうとう予定日まで来てしまいました。

おいおい、まじかよ。(笑)

こんなことならあとひと月よゆーで自宅におれたやん。。。

私も家族も待ち疲れ。

お腹の苦しさは限界。

ちょっとずつ陣痛?っぽいようなお腹の痛みはあるのですが、まだまだ弱く前駆陣痛の範囲を超えるものではありません。

 

予定日の健診ではNSTも実施し、子宮口は2センチほど開いており、お腹の張りも弱いものが5分間隔くらいにはきているとのこと。

予定日の1週間後までに産まれていなかったら、翌日入院して出産としましょうとのこと。

 

ようやく予定が見えてきた感じです。

私自身もそうですが、家族(特に母の)待ち疲れ感がすごくてちょっと私的にプレッシャーを感じていました。

我が家は母も姉も帝王切開での出産なので、経腟分娩の「いつ産気づくかわからない」というものが「わからない」人たち。

仕方ないとは思いつつも、まだかまだかの無言の圧のようなものが感じられて結構きつかったです。

家族のためにも早く産みたい感でストレスMAXでした。

 

夫が大阪に来てくれたので、気分転換がてら夫の実家にしばらくお世話になることにしました。

予定日を二日越えたい日、おしるしがありました。

おぉ、いよいよかぁ!

その日の夕食後、痛いなぁ。。。という痛みが来ました。

間隔は5~10分でしたが、我慢できないようなほどの痛みにまでならず。

待っていても仕方ないし、もしこのまま陣痛に移行するならば、体力温存した方が良いのでいっそ寝れるうちに寝てみようと床に就きました。

 

明け方四時過ぎ「いったぁぁぁ」と目が覚めました。

これは、とうとう来た感じです。

私が突然起き上がったので、夫も目覚めました。

病院に電話しようと思う、と伝えると夫、一気に緊張。

電話で現在の状況を伝えると「しばらくお待ちください」と。

しばらくお待ち後、衝撃の返事。

「あと一時間くらい自宅で様子見てください」

 

えぇ!?

いやいやいや、無理やって。

電話口の伝達係り?のようなスタッフにこのまま1時間は待てる自信がない旨を伝えるが、自宅にいた方が分娩は進みやすいとのこと。

いやいやでもでも!このまま進むと動けなくなりそう。

再度「お待ちください」があり一度病院に来てくださいとお許しがでました。

車に乗ってる間にどんどん耐え難い痛みにステップアップ。

テンパる夫にちょっとイライラ。

駐車場どの辺に止めたらいいかなぁ?とか聞くので「どこでもええわ!」と言うのがやっと。

やっぱあれ以上自宅にはおれんかった。

病院にたどり着きましたが、病棟まで歩ける状態ではなく車いすで病棟へ。

病棟の自動扉で夫とはさようなら。

コロナ対策のため、夫は病棟内には入れません。

外の待合で待機(私が入院に値する陣痛が来ているかどうかのジャッジ待ち)

 

よろよろの体で内診台に上がり、内診。

助産師さん2人が内診についてくださり、内診した助産師さんが「子宮口6センチですね」とのこと。

もう一人の助産師さんはびっくりしており、「もう一人確認しますねー」とびっくりした方の助産師さんも内診「ホントやね、6センチやわ」と。

私の電話口の声が余裕そうに聞こえたそうで(あの伝達係め!!)、「あと1時間自宅で」と伝えられたそう。

「痛みに強い方なんですねぇ」

そ、そうなんですか。知りませんでした。。。

無事に入院を許可され、夫は帰宅。

陣痛室ではなく、直で分娩室へ入室しました。

いよいよ、時が来ました。